マガダン市を旅はA.A. レプコフスキーとN.A.ラマウリ建築家のプロジェクトに従って1953年に建てられたユニオンの家(プーシキン通り、6)から始まる。

注意を引く最初のものは、建物への入り口を作成し、コロネード・柱廊を形成する4つの壮大な柱だ。柱は最も古代の建築成分の1つである。彼の実利的な原型が、住家の庇や屋根の単純な支柱として使用された木の幹だった。建築史の発展につれて、柱の様子は、アテネのアクロポリスやサンクトペテルブルクのエルミタージュの建築物など、アトラントやカリアティデスの形の彫刻像にまでさまざまな形をとった。

柱の主要部分には、柱脚、幹、柱の最も目立つ柱頭が含まれる。この場合はコリント式の柱頭だ。

柱の断面が四角形で、幹は全体の壮大なデザインに体裁のよさと軽さの印象を与える垂直の溝でカットされている。柱脚は柱の構造荷重を分散し、同時に構造の下部の調和した完成である。一番下には全体支柱の堅牢さの印象をあたえる巨大な正方形のプレートがある。その上にはお互いに柱の幹にも流暢に行く3つの異なるサイズの堡塁がある。

柱の上部は、コリント式の複雑な柱頭で飾られている。巨大な切り分けられたアカンサスの葉の薄肉彫りの彫像は、全体と一致して聞こえるようだ。()

伝説によると、西暦紀元前5世紀後半に住んでいたコリント市の古代ギリシアの彫刻家は、最近亡くなった少女の墓に地中海地域に広まっている植物であるアカンサスの葉で巻かれたバスケットを見つけた。このイメージは時に「乙女」と呼ばれるコリント式の柱頭の基礎となった。

柱の柱頭には、花紋に調和して刻まれたソビエト時代のシンボルである鎌と 槌、そして少し高い、凹面プレートの中央にある五芒星を区別することができる。

次の構成要素は、建物のファサード上部の自然な完成のように見える古典的な三角形のペディメントだ。

ペディメントの内部フィールド(ティンパ二ー)は、塑造の薄肉彫りで提出された。この中央に巻きの少し破られたエッジを真似るカールの形のフレームを持つカルトゥーシュ・盾が置かれた。カルトゥーシュの中央には、ソビエト時代の主要なシンボルである鎌と槌が描かれており、その両側には傾けられた旗で囲まれている。構成は、豊かさを象徴する絡み合われた穂の花輪によって補足される。ここでも、古典建築の要素と芸術的モチーフ(ペディメント、ティンパ二ー、カルトゥーシュ、薄肉彫り)とソビエト時代のイデオロギーの象徴の調和の組み合わせが観察される。 

屋外装飾の壮大なモチーフの1つは「ショルダー」と呼ばれる壁の平らな垂直の突出部だ。ショルダーはフルーテッド・細い溝で下から上にカットされている。

そして最後に、ソビエト人の生活と就業日を反映するいくつかの薄肉彫りの壁画が見られる。激しやすい選手、熱心な設計技師、仕事を誇りに思っている鉱山労働者がある。 子どもたちは壮大な宮殿を背景に元気に遊び、チェス選手は動きを集中的に考え、誰かが休んでいる。

これらの芸術壁画のイデオロギーの目標は、ソビエトの人々に、最近のファシズムに打ち勝った彼らの偉大な国に対する誇り感じを招き、明るい未来への自信と労働者の勝利への欲求を吹き込むことだ。
    


    写真 9-12. 薄肉彫りの壁画